2009年4月25日土曜日
「チームりんどうダートトライアル」ゼッケン62(1981年10月04日)
この日の大会の成績表がアルバムにはさんであった。大会後、1ヶ月ぐらいすると2枚の写真とともに、このような手作り?の成績表が送られてきた。今では、走行直後にパソコンで打ち出されると聞いている。考えてみればのどかな世の中だった。
この大会は県チャンピオンシリーズ戦なので、ポイント持ちの選手が顔を揃える。そのせいもあり、初心者は出てこないので、この日も「ラリー車1クラス」は8台と少ない。
入賞は6位からなのでこういう場合は、たいがい「ラリー車2クラス」に統合されてしまう。申込み受付がうまくいかなかったのかゼッケンが、とびとびになっている。(この大会の写真は、なぜか1枚しか残っていない)
賞品目的に入賞を狙うとなると不利であるが、シリーズ戦であればラリー車1クラスでポイントを稼ぐことが目的となる。ラリー車総合での順位は悪くてもよいのである。(でも、レビンやセリカに勝てると気分がよい・・・。)
この日はいつもの競合メンバーが出場していなかったせいもあったのだろう。66秒84のタイムでラリー車総合で3位にくい込んでいる。ちなみに2位は66秒83と100分の1秒差で「粟津原 豊」選手がいる。このころの競技車は「黒のランサー1600GSR」(と思う)で、豪快なドリフトでコーナーをクリアするのに驚いたことを記憶している。当時、彼がスズキスポーツから世界に飛び立っていくことになるとは思いもよらないことであった。
YouTube→「峠スペシャルバトル JWRCスイフト襲来!3」この動画の5分18秒あたりから「スズキスポーツの粟津原常務取締役」(現在の役職かどうかは不明)が登場する。自分と同じくすっかりおじさんになって(失礼)いる・・・。
このころは、この大会でシリーズポイント15となり、県シリーズ戦をしっかり追っかけていた。この成績表では、ラリー車1クラスではトップとなっているが、強力なライバルがこの大会は欠席しているのである。(たぶん、ラリー競技の関係で)
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