このころは、正式に地元のチームに入って毎月1~2回はどこかの大会に出場していた。車は、足回り、クロスミッション、LSD、点火系、バケットシート、ロールバーなどは改造または取り付け済み、さらにボディの硬性をあげるためにアイバワークスでスポット溶接増しまでしていた。
改造はこの辺で十分だと思われ、あとは腕をみがくだけ、大会のない日曜日や土曜の夜は山に走りに行って練習に明け暮れていた。そして、時々友人とラリーやダートラ談義をサカナにして朝まで飲んだ。
自分の入会したチームはパルサーが多く、赤と緑のラインがチームカラーのようになっていた。このゼッケン77の車は「チェリーFⅡ」、ま、パルサーの親戚というか、このチェリーFⅡの後継機種がパルサーとなったと記憶している。
このチェリーは、少々無骨だけれど、そこがいいんだなぁ。オーバーフェンダーが決まっている。もちろんエンジンはバリバリにチューンされていて、この日デビュー戦だった。さりげなく塗装された赤と青のラインがまぶしかった。
自分のスターレットSは赤のラインを入れていたが、この赤と緑のラインが羨ましく羨望の眼差しで見つめていた。ピットに並ぶ赤と緑のチームカラーの一員になりたかった。このラインをカラーリングしても恥ずかしくないような走りをしたいと思っていた。
当時はローカルで、盛んにモータースポーツが行われていた。女性だってたくさん出場して、人数が多いときはレディースクラスも設けられた。クラスは違えども、マゴマゴしていると細腕の女性ドライバーにタイムを抜かれてしまう場合だってある。苦汁を舐めた男たちもかなりいたことだろう・・・・。
この日、手書きで張り出された成績表を見ると、ラリー1クラスは10台の出場がある。自分のベストタイムは、1分15秒57。いつも負け続けていた黄色のKP61の選手は、1分15秒96。0.4秒の差は大差といえる。時には、0.01秒差で優勝を逃すときだってあるからだ。3位は1分16秒00で、文句なしの、念願の1位、優勝を獲得したのである。(たぶん、この日が初めての1位だったと思う。)
1位になってなによりも嬉しいのが賞品で、特にタイヤをゲットできることが経済的に助かるのであった。そして、帰宅してから、早々に飲屋街に繰り出しビールを浴びるほど飲んだのはいうまでもない。
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